漫画に作者の主義・主張を入れるのは臭い?というのは大きな間違い!ってお話。

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漫画

ども、骨なしチキンのお客様。犬川です。

今回は巷でたまに見かける論争。

漫画作品に作者本人の主義・主張

盛り込むのは臭い行為なのか?

って部分に焦点を当てて、

実はまったく一切問題ナシ!

オールクリア!

なんだぜ!
というお話をしようと思います。

犬川P太郎
犬川P太郎

僕は一生マンガ読みます!

猫山さん
猫山さん

夜行バス乗りなさいよぉ~。

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前提として

以前僕は同じような題材として、

作品と作者の『結びつき』について

記事を作成した事がありますが、

こちらは作品外での
作者の行動や活動について
フォーカスして
考えたものになります。

今回の記事では、
作者の『作品内』での

主義・主張はどうなの?
って部分を掘り下げます。

また批判が比較的多いとされる漫画の

具体的な題名や作者名に関しては、

ヤバイ方面の人々を避ける為に
明言を避けますが、

あまり問題となっていない作品に関しては

具体的にタイトルなどを出してお話します。

作者の主義主張が『臭い』のは何故?

さて、ネット上で誰もが自由に

マンガ作品に対して感想を言える時代。

たまに見かける話題の1つとして、

マンガ内に作者の

主義主張を盛り込むのは臭い!

というものがありますが・・・。

これについて感じたり、
考えた事はありますか?

僕がこれ系の話題を見かけて、

いつも疑問に思うのは

なぜ『臭い』という表現で
忌避されるのか?

という部分です。

色々と調べたり考えたりした結果、

受け取り手本人にとって鼻につく

主張内容であるから

ではないかと考察しています。

だってアータ、くさいですよ?

マンガ作品に対して
くっさ!臭い!!
って言うのって
結構よっぽどじゃないですかね?

犬川P太郎
犬川P太郎

草生えるならまだしも。

それはつまり、
作者が主張する内容が

読んだ人にとって
個人的に耐え難いから匂う

だからこのマンガは臭い!

だからこの作者は臭い!

だから作品に主張を入れる奴は臭い!

と繋がるのではないか?と。

作品に主張を込めるのはNG・・・ではない!

即ち、作者が自分の作品において

自分の主義主張を盛り込む行為=OK!

なんらNG行為ではない!

という事の証左であると言えます。

なぜなら臭いと感じている部分の根源は

作者が主張している内容であって

作品の中に主張を

盛り込む行為そのものではないからですね。

敢えてもの凄くシンプルに表現するなら

お前が個人的に

気に入らねぇ!ってだけだろ?

という事になるのではないかと・・・。

例えば、
自身の作品に主義主張を入れる事を

全面的に肯定している
有名な漫画家さんと言えば

鋼の錬金術師』の荒川弘さんや、

ジョジョの奇妙な冒険』の
荒木飛呂彦さんですね。

☝この本の対談で語られていますが、

2人共『言いたい事は漫画に込める
という姿勢です。

この発言・姿勢に関しては
全面的に
肯定・歓迎ムードで評価されているので

やはり主義主張を作品に込める事、

その行為自体に問題はないと思われます。

明確な線引きは不可能

マンガ内に主張を入れるのは良い。

だが、あまりに露骨なのは問題だ!

という意見も結構よく見かけるのですが、

どこまでがセーフ(さりげなく)で、

どこからがアウト(露骨に主張)かは

読む人1人1人の感性によって
変わりますので・・・。

画一的に判断する事は出来ず、

明確な線引きも不可能です。

例えば僕自身の場合、ネット上で

ゴブリン突撃部隊か?

ってレベルで叩かれてるマンガは

何の苦も無くスラスラと面白く読めました。

反面、ネット上でそこまで炎上していない

氷室の天地 Fate/school life』に関しては

面白おかしく
上質なパロディを楽しみながらも

コレもはや氷室と蒔寺の皮を被った

磨伸映一郎じゃねぇか!
と思う事もあります。

そもそも漫画は娯楽作品であると同時に、

表現方法の1つでもありますので

こんな漫画の内容はダメだァー!

という事を声高に叫んでしまえば、

マンガだけに留まらず
映画・ドラマ・音楽など

あらゆるジャンルにおいて

表現の自由を侵害する事になるでしょう。

犬川P太郎
犬川P太郎

俺はこのマンガが

嫌いだー!ってだけなら

何の問題も無いスけどね。

猫山さん
猫山さん

感想を言う自由だね。

まぁ・・・何が好きかで語れよ

とは思うが。

表現者の形のひとつ=漫画

更に荒々しい意見の中には、

こんなのマンガじゃなくて

自分のブログでやってろよ!

というモノも見かけたりするのですが・・・。

これはお話になりませんね!

ただの暴論、暴言の類いでしかありません。

クリエイターがどの媒体を選択して

その中で何を主張しようとも自由ですから、

他人の表現の媒体選択を

自分の思い通りにしようとする行為です。

マンガはダメで、
ブログがOKな理由は?

音楽はどうだ?映画は?
小説は?エッセイは?

と少し裾野を広げて考えて見ると、

マンガでやるな!という意見が

どれだけ幼稚で自分勝手な事を
言っているのか。

分かり易くなるかと思います。

『逆に』考えてみましょう

なにか1つの問題提起を見て、

自分がどのように考えるのか?

僕は数ある思考法の中で、

逆に考えてみよう
という方法を取る事が多いです。

犬川P太郎
犬川P太郎

逆に考えるんだジョジョ・・・。

猫山さん
猫山さん

あげちゃってもいいさ・・・と?

逆に考えて、作者の主義主張を

作品に盛り込まないマンガばかり
になったら?

・・・どうやったら

作品の個性=作風が生まれるのでしょう?

漫画の場合は
絵柄などでまだ違いがありますが、


音楽(作詞)に関しては
壊滅的な無個性曲となるでしょう。

いやマンガに限っても、

特徴的なセリフ回しや胸に響く名言も

どこかで聞いた事のある

焼き増しのオンパレードになるのでは・・・。

ついでにエッセイ漫画は全滅しますね。

まとめ

どれだけ調査を深めようとも、

漫画内に作者の主張を
盛り込むなァーッッ!!

という派閥の人々の意見は

どこか批判のポイントが
ズレているものばかりで

小難しく批判している様に見えて、

アンタが政治アレルギーなだけだろ?

というものが大多数でした。

それも逆に考えてみれば

ある意味当たり前のお話で、

表現作品の中に
表現を盛り込んではならない!

という理由付けなんて
出来る訳がないですよね。

とは言え、感想を述べる自由や

批判する自由があるのも確かです。

間違ってはならないのは、

作者をコントロールしよう
と思ってはならない。

この点が重要になるのかな、と。

作品が自分に合わないと思ったら、

毒を吐いてスッキリするのも自由ですが

吐く毒の種類はお間違えの無きよう・・・。

それよりは、カカッとその作品から

距離を取った方が
精神衛生的にも良い
のかな。

そう考える事をオススメしつつ、

本日の記事は以上です。

ここまで読んで頂き、
ありがとうございます!

☟作中で登場人物が脈絡なく

突然スイーツ作りを始めるマンガの最終巻

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